思い込みという信念

大阪に来てもうすぐ丸4年になろうとしている。

これは大阪独特なのか?と思うことに出くわすことがある。

それは何か?というと、
腰が異常に折れ曲がったお年寄りを結構な割合で目にする、ということだ。

わたしの祖母は92歳まで生きた人で、老年には確かに腰が曲がっていたけど、大阪の街中で見かけるご老人ほどではなかった。

くの字に折れ曲がった腰骨は、どうやって日常生活を送っているのだろう?と想像させるほど強固に曲がっており、ほぼ直下のアスファルトのみを見ながら歩いている。

梅田の大阪の中心部でさえ、時々見かける。

気の毒だな〜とか、大変だなとか、歳とるの嫌だな、とか、そういうことを言いたいのではない。

あすこまで腰が曲がる、どんな信念が彼・彼女にあったのだろう・・・?そう思わずにおれないのだ。

 

 

以前、大学教授をしている友人から、非常に興味深い話を聞いたことがある。

リュウマチか、何かに罹患して、すっかり体が硬直してしまった患者の話である。

その人は、もう骨も変形しているのではないか?というほど、体が強固に折れ曲がってしまっていて、無理に戻そうとしたら、骨折するか?腱が切れるか?という状態なのである。

みなさん、どう思うだろう?
この人が日常生活を取り戻せるほど体がまっすぐになり、自由自在に動かせる方法はあるのだろうか?普通に考えてみればきっと無理だろう。

がしかしこの人物に(麻酔か?特殊な催眠か、そのあたりが定かではないのだが)意識を奪うと、強固に硬直してしまった体から、徐々に力が抜けていき、最終、健常者(←という言葉をあまり使いたくないのだが)のそれと全く同じ様に、まっすぐになったというのだ。

 

信じられるだろうか?

意識下においては無理やり伸ばしたら、骨折したり腱が切れるかもしれない状況で、がしかしその人から意識を奪うと、体が元に戻るというのだ。

この実験(?)の詳細が今となってはどこから取られたものかわからないので、その話を証明するすべがなく申し訳ないが、わたしにはこの感覚がよくわかる。

 

そう。この硬直した肉体を持った人物は

わたしの体は硬直している

という、信念を持ってしまっているのだ。

 

わたし達の無意識下の信念は、それほどまでに強固だ。

そして、決して意識に登ることはなく、まちがいなく100%その信念の通りに現実として現れる。

変える必要があるならば、それは無意識下で決断されてしまっている信念の方なのだ。

 

この実験で興味深いのは、意識を奪うと体が真っ直ぐになったということだけでなく、その人が意識を少しずつ取り戻していくプロセスで、真っ直ぐだった体は、徐々にもとの折れ曲がった体に戻っていった、ということだ。

自分が無意識下で決断している元の状態に、そうやって戻ろうとするのだ。

それがどんなに自分にとって不都合で、大変なことであっても、だ。

 

わたし達自身もこのように、自分に対して決断してしまっているマイナスなことはないだろうか?

 

☑️わたしに出来るわけがない
☑️絶対に成功なんかしない
☑️わたしは大した人間じゃない
☑️稼いで大きなお金を得るなんて、絶対にわたしにはありえない
☑️この問題を解決できるわけがない

 

あなたが決断しているこれらの自分に関する情報は、本当だろうか?

そうやって決めていることであなたが得ているものはなんなのだろうか?
(NLP肯定的意図)

 

見つめるべきは自分。
本当に人生に変化を起こしたいのなら。

 

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